今年29歳

弱者男性という言葉が流行っている。

 

貧困であったり、障害を抱えていたり、容姿が劣っていたりする男性のことであり、それらを総称して弱者男性である。

 

弱者男性に「女性をあてがえ論」が起きているということに驚いた。

「あてがえ」という意見は通俗的な意見から出た言葉だが、「弱者男性は弱者なので、福祉制度的にケアしろ」という意見に昇華された。

 

ただ考えてみれば今の社会は、この「女性をあてがえ論」のようなことが普通に起きている。高齢者は弱者だ、ということで老人ホームができたし、女性は弱者だ、ということで女性をケアする制度ができたし、LGBTQに関しては法案が可決された。弱者をみつけだしてはケアする制度ができる流れは最近になってできつつあった。

 

なぜ最近になって弱者を見つけ出してはケアすることが、社会に求められるようになったのか。

 

明治時代に養老院というのがあったし、その前から老人ホームの先駆けのような施設はあったが、どれも飢餓や身寄りのない者をいれる施設だった。

その頃は、高齢者は確かに弱者であったかもしれないが、その弱者を助けるのは、社会ではなく家族だった。例えば、芸能人が子供を育児しないで、ベビーシッターに預けていることが道徳的でないと批判されるように、自分のおじいちゃんおばあちゃんを他人に預けることはモラルに反していたからである。

 

更に遡れば、人間がまだ国を持たない狩猟採集の時代、数人から数十人の単位のバンドで生活していたらしいが、体は弱くて戦えないが、頭の発達した者は医者のまがい物になったし、科学的なことはわからなくても人を扇動する力を持ったものはシャーマンになって、お互いの弱さを制度なしで補填しあって生活していた。

 

福祉という言葉が必要になったのは、制度的に救済しない限り、誰も弱者を救済しない社会になったからである。

 

昭和時代に親子2世帯、3世帯に及んだ大家族が、違いに干渉しあって助けあった連帯を有機的な連帯というなら、国が制度的に弱者を救済する連帯は、無機的な連帯である。

 

有機的な連帯から無機的な連帯に移行した理由は、私たちが個人化したからである。

大都市を筆頭に、核家族化した。個食や、家計(財布)の個人化などの言葉も流行った。

 

実際に家族からの干渉や、地域の行事の参加に煩わしさを感じていたことを証明するように私たちは個人化していった。社会制度の発達の為の増税など代償はあったが。

 

このような流れから弱者男性もまた、弱者として社会に見出された。

 

弱者男性をケアしろ論についての反論としては、「努力をしてこなかったから」や「競争社会で負けただけ」などがある。

 

我々も何かの定義の弱者なのかもしれないが、あらゆる弱者を皆伝し「無敵の人」にならないように気を付けよう。